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地下鉄清田延伸計画の経緯

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 札幌市の地下鉄は、南北線、東西線、東豊線の3線があり、総延長は48キロに達します。この地下鉄が、雪国札幌の快適な都市生活を支えている交通インフラであることは、札幌市民ならだれでも実感することだと思います。また、地下鉄あるいはJRの駅は、各区の地域中心核となり、各地域のまちづくりの要にもなっています。

 ところが、札幌10区の中で地下鉄およびJRの駅がまったくない区が一つだけあります。清田区です。

 地下鉄東豊線を福住駅から清田方面に延伸することは、豊平区と清田区の関係住民の悲願です。私たちの要望は、私たち住民サイドだけが勝手に主張しているものではありません。そもそも、地下鉄の清田方面延伸は、札幌市がそのまちづくりの中で構想をつくり、正式に札幌市の長期計画に載せたものです。札幌市議会でも、市の理事者が「清田方面まで地下鉄を伸ばす」と答弁てきました。つまり、地下鉄の清田延伸計画は、札幌市が市民に公式に約束してきたことなのです。この地下鉄清田方面への延伸計画はどのような経緯をたどってきたのか、ここに記します。 

(1)札幌の地下鉄の黎明期

 札幌市の地下鉄が開業したのは、札幌オリンピック(昭和47年2月)の直前、昭和46年(1971年)12月16日でした。南北線の北24条―真駒内間です。札幌市が地下鉄建設の検討を始めたのは、これよりさらに10年ほど前、昭和30年代にさかのぼります。

 札幌市は当初、地下鉄よりもモノレールを考えたようです。昭和36年(1961年)、札幌市交通局は「モノレール研究委員会」を立ち上げ、モノレールによる高速都市輸送機関の研究に着手しました。やがて地下鉄建設に変更したようで、昭和38年(1963年)には、ゴムタイヤ方式の計画を固めます。昭和39年(1964年)には、東苗穂の札幌市交通局自動車訓練所に長さ150メートルの試験軌道を建設し、車両の開発に着手しました。

 こうした準備とともに、札幌市は地下鉄計画の策定作業に入り、昭和42年(1967年)7月、札幌市高速軌道等専門委員会は「札幌市における高速軌道整備計画に関する報告」を原田與作市長に答申します。内容は、南北線と東西線の2路線を造るというもので、昭和60年(1985年)を完成目標年度としました。

 当時も今と同様、採算性に国は難色を示し、大蔵省から「熊でも乗せるのか」と揶揄されたようです。しかし、当時の札幌市交通局は「なんとしても地下鉄を造る」という決意で、奮闘。多くの困難を乗り越え、国の認可を得て、南北線を札幌オリンピック前に開業させたのです。

 札幌市は、札幌オリンピックと地下鉄の2つを礎に、北の大都市として飛躍的に発展していくことになったのは周知の通りです。

(2)清田方面の地下鉄計画の源流

 地下鉄南北線が開業した当時、既に「第2南北線」構想がありました。これは、通勤通学客が南北線に集中し、その混雑緩和が求められたからです。路線は、栄町―札幌駅北口―山鼻地区とされましたが、すぐこの路線は立ち消えになります。しかし、この構想が現在の東豊線の源流だったと思われます。

(3)地下鉄50キロ構想、清田方面延伸の計画登場

 昭和50年代に入り、札幌市は人口がどんどんと増え、交通網の整備が急務になります。板垣武四市長は札幌市総合交通対策調査審議会(総交審)を設置して検討します。そして、昭和54年(1979年)12月、総交審は「地下鉄等の大量公共輸送機関の整備計画について」という答申を板垣市長に行います。

 内容は、北・東線(第3線)(栄町―北野)と東西線(琴似―手稲東=現宮の沢)を昭和70年(1995年)までに整備するというものでした。

昭和54年(1979年)、清田方面まで地下鉄を伸ばす構想が示された(総交審答申)

  「北・東線」とか「第3線」というのは、今の東豊線です。当時は、まだ東豊線という名称はありませんでした。以前あった「第2南北線」が、「北・東線」「第3線」という名で正式に表舞台に登場してきたのです。そして、この地下鉄は「北野」まで伸ばすとなったのです。これが地下鉄清田延伸計画のルーツです。

 ただし、「北・東線」は、東区の建設を優先し、豊平区方面は後回しになりました。これは「南北線北部の混雑状況、工事施工の難易性、市街地の発展状況、効率的運営、都心集中型の交通動態を考慮すると、北・東線のうち北東部から緊急に整備すべきであると判断される」(答申)とされたからです。

 しかし、これが地下鉄清田方面延伸の道筋を作ったことは確かです。札幌市は昭和54年の総交審答申を踏まえて「地下鉄50キロ構想」(南北線:麻布―真駒内14キロ、東西線:新さっぽろ―手稲東(現宮の沢)20キロ、東豊線:栄町―北野16キロ)という地下鉄建設方針を決めました。その後、札幌市はこの「地下鉄50キロ構想」に基づいて地下鉄を順次建設、整備し、現在、総延長48キロに達しています。この「50キロ構想」で、いまだに実現していないのが福住―清田方面延長区間だけなのです。

 「地下鉄50キロ構想」では、完成目標年度は昭和70年(1995年)とされました。この地下鉄清田方面延伸計画に歩調を合わせるように、清田区地域では住宅建設が進みました。背景には、「地下鉄が来る」という期待があったからです。

(4)清田延伸ルートと駅が発表される     

昭和60年(1985年)に発表された東豊線延長区間のルートと駅

 昭和60年(1985年)8月、「札幌市50キロ構想」の清田方面のルートと駅が公表されました。これは、札幌市高速鉄道調査専門委員会が板垣市長に答申した「札幌市における地下鉄次期整備路線の在り方について」という報告に盛られたものです。

 それによると、東豊線の「豊水すすきの」から先の駅は、「学園前」「豊平」「美園」「月寒中央」「福住」「共進会場」「月寒東」「北野」と明記されたのです。ルートは、福住駅先から左折して「共進会場」方面に向かい、北野通を通って「月寒東」「北野」に向かうというものでした。東豊線終点「北野」駅は、北野通と清田通の交差部付近とされました。共進会場は今はありません。

 さらに、完成目標は昭和70年(1995年)とし、まず第一段階として「豊水すすきの」から「福住」までを建設するとしたのです。

(5)東部地域開発と一体の地下鉄清田延伸

 この答申は、「地下鉄を清田方面延伸と札幌市東部地域開発との関係」についても言及しており、注目されます。答申は次のように述べています。

 「平岡・里塚地域においては、大規模プロジェクトである東部地域開発基本計画に基づき、新市街地としての宅地開発が進められており、既存の路面交通機関では増大するこれら輸送需要に対応できない状況にある」

 「このため、今後これから新たに発生する輸送需要に対処するとともに国道36号の混雑緩和を図るため、バス輸送を定時性の高い大量高速輸送機関である地下鉄輸送へ転換させ、地下鉄を主軸とした効率的な地区交通体系を確立することが、この地域の交通施策上における緊急課題となっている」

 東部地域開発基本計画とは、昭和49年(1974年)に札幌市が策定した地域開発計画で、当時、畑、原野、山林が広がっていた札幌東部地域1265ヘクタール(現在の清田区平岡、里塚緑ヶ丘、平岡公園東、厚別区上野幌など)を官民で開発し、住宅2万9000戸、人口11万人のニュータウンを建設しようというものです。

 当然、多くの人が居住する新しいまちが誕生するわけですから、先の答申でも地下鉄の整備に言及したのだと思われます。

 そして、この東部地域開発計画は達成し、現在、多くの人が居住する一大ニュータウンが清田区に形成されています。ところが、東部地域開発と一体であるはずだった地下鉄の清田方面の延伸実現はいまだに達成されていないのが現状です。

(6)地下鉄延伸、札幌市長期総合計画に明記

 昭和62年(1987年)8月、札幌市は東豊線の豊水すすきの―福住間の建設申請を国に行いました。「50キロ構想」のうち残る東豊線福住―北野と東西線琴似―手稲東は申請が見送られました。

 新聞報道によると、当時の板垣市長は「現状では両線延長を同時申請すると双方とも遅れる心配があり、東豊線の福住までとしたが、両線の昭和70年完成をあきらめたわけではない」(北海道新聞:昭和62年9月1日)と発言しました。

 このときは申請を見送ったものの、板垣市長は清田方面延伸のスタンスを変えていないことが読み取れます。

 そして、昭和63年(1988年)3月策定の第3次札幌市長期総合計画に「東西線(手稲東方面)、東豊線(北野方面)の延長を推進する」と明記されたのです。

 札幌市議会でも市長や市幹部が「北野方面延長」を明言していました。

 こうした札幌市の動きを見て、清田区地域に家を購入、居住を決めた人は数多くいます。なかには、将来の発展を見込んで会社を他区から移転した人もいます。

(7)清田方面だけが取り残される

清田区内の国道36号沿いに建つ地下鉄延伸を訴える塔

 その後、札幌市は「地下鉄50キロ構想」で残った2路線のうち、東西線琴似―手稲東を優先する方針を固めます(1991年7月)。

 「東豊線(北野方面)の建設を推進する」とした第3次札幌市長期総合計画でしたが、その第3次5年計画(平成8~12年度:1995年~2000年)では、札幌市は、地下鉄建設について「地下鉄東西線延長建設(琴似―手稲東)」と記載したものの、東豊線福住―北野は記載がありませんでした。消えてしまったのです。

 ただ、当時の桂信雄市長は「順次、建設をしていく」と述べ、福住から先の延長に含みを持たせる発言をしました。

 しかし、平成6年(1996年)に策定作業を始めた第4次札幌市長期計画(平成12年=2000年スタート)では、とうとう地下鉄建設の記載は一切なくなりました。

 札幌市の長期計画に載せていた地下鉄延伸が記載されなくなった背景には、当時、バブル経済が崩壊し、巨額建設費と赤字の地下鉄建設に慎重論が台頭してきたことがあると思われます。平成9年(1997年)11月には拓銀(北海道拓殖銀行)の経営破綻などもありました。

(8)清田延伸ルートを国道36号に変更

 清田方面だけが取り残される状況を打破すべく、当期成会は平成9年(1997年)8月、総会を開いて今後の活動方針を再確認しました。活動方針として確認したのは次の4点でした。当期成会はこの方針に基づいて今日まで活動を続けてきております。

  1. 最終的な路線要望は、あくまで里塚とする。
  2. 当面の活動としては、まず清田区役所付近までの早期延長を要望していく。
  3. 延長計画路線を、国道36号線経由へ変更する(従前は北野通り経由)。
  4. ドーム周辺国有地のスポーツエリア整備を働きかける。

 この方針のもと、翌月の平成9年(1997年)9月、当期成会は市長と市議会議長に要望書を提出しました。内容は以下のようなものでした。

  1. 延長計画路線を、従前の福住―北野間から、国道36号線経由で清田区役所周辺へ至る路線へと変更し、早期着手を望む。
  2. 札幌ドーム周辺国有地については、ドームを中心とした一大スポーツエリアとして整備することを望む。

 延長計画路線を従前の北野通りから国道36号線に変更要望したのには、2つの背景事情がありました。一つは、清田区が平成9年(1997年)11月に豊平区から分区して誕生し、清田区役所が国道36号線近くに開設されることになったことです。もう一つは、国道36号線沿いに、2001年開業予定の札幌ドーム建設計画が進み、翌1998年に着工となる事情がありました。

 札幌市も、延長計画路線を国道36号線ルートに変更して検討することになりました。

(9)清田区が「まちづくりビジョン」に地下鉄清田延長を明記

 平成9年(1997年)11月に豊平区から分離して誕生した清田区は、早速、区のまちづくりの方向性を示す「清田区まちづくりビジョン」の策定作業に入ります。清田区内各界の代表者でつくる「きよたまちづくり区民会議」を組織して検討し、さらに2度にわたる区民アンケート調査などをもとに、清田区は平成11年(1999年)3月、「清田区まちづくりビジョン2020」(目標年次2020年)を策定しました。

 この中で、清田区は「地下鉄東豊線は清田区民と区外の人々との流れをつくるための動線として、地域中心核(清田区役所付近)まで延長する必要があります」とはっきりと明記したのです。

「清田区まちづくりビジョン2020」に明記された地下鉄延伸構想図

 清田区は言うまでもなく札幌市の行政機関の一つ(出先)です。それが区民と一緒になって「地下鉄東豊線の清田延長」を正式に宣言したのです。

「清田区まちづくりビジョン2020」で示された清田区の地域中心核(区役所周辺)のイメージ図。地下鉄駅が描かれている

(10)清田方面延長が再浮上

 清田区が誕生し、地下鉄延長を求める声が再び高まりました。桂信雄市長は平成11年(1999年)3月、20年ぶりに総交審(総合交通対策調査審議会)を開設しました。桂市長が諮問したのは①地下鉄など軌道系公共交通機関網の在り方②公共交通の利用促進策―の2点でした。

 この時の最大の焦点は「札幌ドームの建設、清田区の分区などの状況を踏まえ、地下鉄東豊線の福住駅以遠の延長の是非やルート、事業採算性」(北海道新聞1999年3月16日)でした。昭和54年(1979年)の前回総交審の「地下鉄50キロ構想」の中で、唯一積み残しになっていた地下鉄清田方面延伸の是非を真正面から取り上げたのです。

 この総交審は2年後の平成13年(2001年)4月、報告をまとめ、桂市長に答申しました。そこには清田延伸について「地下鉄の延伸に向けた検討を進めていくことが必要」「運営の効率化が図られた場合には、採算性は確保できる」とありました。つまり、「地下鉄を清田方面に延伸すべし」という結論だったのです。

 延長区間は「清田」までの国道36号線ルートで、総延長は4・2キロ。駅は「札幌ドーム」「東月寒」「北野」「清田」の4駅を置くとしました。事業費は1050億円。累積黒字化年数は33年ですが、上下分離方式で運営すれば28年目で累積黒字達成できると試算しました。国の黒字化目安の30年をクリアできるとされたのです。

 このときの総交審は、地下鉄清田方面延長について、さらに次のように説明しました。

 「清田方面は人口も集積しつつあり、さらに後背圏での人口増加も見込まれるなど、地域中心核としてのまちづくりが必要になっている」

 「また、札幌ドームへのアクセス確保や、国道36号の清田方面から地下鉄福住駅に向かって発生する将来需要への対応も必要である」

 「軌道系交通機関の整備は、都心から清田地域中心核に向かって骨格軸が形成され、地域中心核の育成・整備に寄与するほか、札幌ドームへのアクセス手段としての役割も期待される」

 桂信雄市長が設置した札幌市総交審はこのように言い切って、「地下鉄の清田方面延伸を進めるべし」との結論を打ち出したのです。

 桂信雄前市長は2020年11月にお亡くなりになりました。桂市長の在任時期(1991年~2003年)は、バブル経済が崩壊し、拓銀が破綻するなど経済的に厳しい時期でした。その中にあって、地下鉄東豊線(豊水すすきの―福住)、東西線(琴似―宮の沢)の延長を行いました。

 桂市長は清田区を創設し(1997年)、札幌ドームを建設するなど、北広島・千歳に連なる札幌東南部の月寒から清田方面に札幌発展の芽を見ていました。清田区創設と札幌ドーム建設は、地下鉄の清田方面延長とワンセットだったと思われます。そういう都市デッサンのもと、桂市長は最後まで地下鉄清田延伸にこだわったのです。

(11)上田市長が凍結

 しかし、桂市長の後の上田文雄市長(2003年~2015年)は、あっさりと地下鉄東豊線の清田方面延長を凍結してしまいました。桂市長は平成13年(2001年)の総交審で「清田延伸」の方針を打ち出しましたが、その後、上田市長になってから延伸の話は具体化しませんでした。札幌市は「清田延伸すべし」の総交審の結論から、「清田延長は無理」へと180度方針を変更したのです。

 平成23年(2011年)10月、札幌市は清田区民センターで当期成会への説明会を開催し、「清田延長は無理」との考えを伝えたのです。その理由として、札幌市は「平成13年(2001年)の総交審で清田方面延長は、実現可能性が高いと判断されたが、その後、第4回PT(パーソントリップ)調査で需要が減少となった。新たな将来人口予測など踏まえて、総交審の事業採算性を見直し、再検討した」(札幌市の説明資料)と説明しました。

 さらに、「福住―清田間は、国の基準である『30年で累積黒字化』が出来ないから」と説明し、札幌市が延伸したくても国が許可しないとの立場を示したのです。

 しかし、期成会は国土交通省に問い合わせ、そのような絶対的な基準などないことを確認し、市にその旨を言い続けてきました。その後、2022年2月、国道交通省の上原敦鉄道局長は、衆議院予算委員会で「30年という一応の目安はあるが、地方の公営交通の場合は、事業主体がしっかりしていることからより柔軟に対応している」と、30年に必ずしもこだわらない見解を示しました。荒井優議員への答弁です。

(※)この国の答弁を伝え聞いて、上田前市長は2023年5月、市長時代の凍結発言を撤回する見解を私たち地下鉄東豊線建設促進期成会連合会との面会で明らかにしました。
 上田前市長は私たちに「私が市長をやっていた時は、やはり国は『30年基準』の問題があって認可しない姿勢でした。しかし、国の方針が変わり、『30年にこだわらない』と言う見解を国は表明した。『考えなさい』という選択を与えられたのだから、地下鉄延伸を検討しない、何もしないということにはならないのではないでしょうか。ちゃんと検討したらいいと思う」ときっぱりと発言したのです。
 かつて、地下鉄清田延伸に「待った」をかけた上田前市長も、今や延伸に前向きな姿勢に転換しました。秋元市長には、地下鉄清田延伸を一日も早く決断してほしいものです。

 上田市長は平成24年(2012年)1月、札幌市総合交通計画を策定しました。ここには、地下鉄の延長計画は全く記載されませんでした。さらに、「交通基盤の骨格構造は、これからの都市活動を支えるうえで、大幅な拡充は要しない水準に達しています」とまで書いたのです。

 「交通基盤の骨格構造」とは、地下鉄のことです。清田方面に居住している我々からしたら、「交通基盤の骨格構造が大幅な拡充は要しない水準に達している」という判断は全く容認できません。

(12)秋元市長の公約と考え

 平成27年(2015年)、秋元克広新市長が登場しました。秋元市長は選挙公約(マニフェスト)で「冬季五輪・パラリンピック招致に合わせて、札幌ドーム周辺の国道36号線と羊ケ丘通りの間の土地(北海道農業研究センター)に、選手村やメディアセンター等を設置し、その後の活用策(マンション、ホテル、商業施設等)も含めて地下鉄清田方面延伸を検討します」と主張して当選した市長です。前市長とは少しニュアンスの違う発言をされる秋元市長に我々は期待を持ちました。

 現に、秋元市長は当選間もない平成27年(2015年)7月に行われた「清田区民ふれあい夏まつり」に来て、開会式の席上で「地下鉄の延伸を含めて清田区の将来をしっかりと考えていきたい」と、はっきりとした口調で清田区民に宣言したのです。

 その後、2020年3月、札幌市は「札幌市総合交通計画」を改訂しました。地下鉄清田延伸について「近年、清田区において人口が減少しており、事業採算性を勘案した慎重な検討が必要」と記すにとどまっています。

 そして、現在に至るまで、延伸の具体的な検討着手までには至っていません。

 札幌市が取り組んだ冬季五輪・パラリンピックの招致は東京オリンピックの汚職などがあって断念に追い込まれ、五輪招致は失敗に終わりました。五輪招致に合わせて、札幌ドーム周辺の北海道農業研究センターの土地活用を進めるという秋元市長の戦略はとん挫しましたが、地下鉄清田延伸の意義は全く消えていません。市民の足を確保し、まちづくりの要の交通インフラを整備するという根本は全く変わりがないからです。

 そして、最近、新たな動きが出ています。

一つは、秋元市長が地下鉄清田延伸に関して、上田市長以来の「採算性一本やりで困難」としてきた姿勢を少し変えて、「住民の足の確保」「雪国の大都市の特性と地下鉄の優位性」「ラピダスやGX資産運用特区などの社会変化」などを加味して、「総合的に判断」すると表現するようになってきていることです。

二つ目は、この「ラピダスやGX資産運用特区などの社会変化」を地下鉄延伸に絡めて議論する発想が秋元市長はじめ札幌市にもあることです。こうした新たな動きを札幌市が受け止める場所として、北海道農業研究センターの土地(国道36号線と羊ケ丘通に挟まれた区域)が浮上する可能性があります。私たちは海道農業研究センターの土地活用が地下鉄延伸につながることを期待しています。

 私たちは、こうした動きを注視しつつ、地下鉄清田延伸の運動を粘り強く展開して行きます。

(13)私たちの考えと展望

1 地下鉄延伸は清田区民の長年の切実な願いです。積雪寒冷の札幌市において地下鉄は快適な高速交通機関ですが、清田区民にその恩恵はありません。2022年の冬、札幌市は記録的な大雪被害に見舞われました。清田区はバスがほぼ全面ストップし、陸の孤島と化しました。豪雪の大都会、札幌では地下鉄は市民の重要なライフラインですが、清田区には、それがありません。

2 札幌市は市内17か所を地域交流拠点に指定し、各地域のまちづくりを進めています。地域交流拠点は地下鉄あるいはJRの駅を核にして形成されていますが、清田だけ地下鉄もJRもないため、人が集まらず、バスセンターもできず、地域の核づくりが進みません。まちづくりの観点からも地下鉄は必要です。

3 かつての札幌は北海道農業研究センターまでだったかもしれません。しかし、今は清田区が開け、北広島市や恵庭市の大型商業施設、工業団地が続いています。市営地下鉄の乗降客を増やすには、新千歳空港の乗降客や北広島方面の大型商業施設の利用客や工業団地の通勤客等を取り込む発想が必要と考えます。地下鉄が福住止まりというのは、いかにも中途で止まっている感がします。

4 公営交通は何のためにあるのでしょうか。札幌市は採算性というモノサシだけで「清田延伸は困難」といいますが、全国の政令都市の地下鉄はどこも多くの累積赤字を抱えながらも建設・運営されてきました。公営交通なのだから、各都市は「市民の足を確保する」ということを行政の責任と考え、採算性だけではない総合的な判断をしてきたのではないでしょうか。

 札幌市営地下鉄も東西線と東豊線は累積赤字を抱えて運営しています。福住―清田の延伸区間だけ「採算性」を持ち出し、「困難」というのはあまりに不公平ではないでしょうか。清田区民も同じ市民税を払っている札幌市民です。

5 札幌市は「近年、清田区においては人口が減少している」ことから延伸は「慎重な検討が必要」と言いますが、人口が減っているのは札幌市が当初計画した地下鉄の清田延伸を実施していないからです。地下鉄が清田地区まで延びれば、清田地区(西友清田店、清田区役所、道銀清田支店、清田病院などがある地区一帯)は、たちまちマンションやホテル、民間施設等が立ち並び、人口が増えることは明らかです。

 実際、2022年3月に発表された公示地価で、清田区の地価上昇率が札幌10区の中で1位でした。これは30代、40代の子育て世代の転入が多いからで、清田区の潜在的な人口増のポテンシャルを示しています。

 地下鉄を清田まで延伸するのは、私たちの悲願です。札幌市はじめ札幌市民、皆様のご理解とご支援をよろしくお願いいたします。

 

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